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アメリカ合衆国の成り立ち【分かりやすく解説!】

こんにちは、みっちゃんです。

みっちゃん

アメリカ合衆国の成り立ちを分かりやすく解説していきます。

はい!みっちゃん先生!

ケロくん

アメリカ合衆国の成り立ち

アメリカ合衆国を知らない方はいないでしょう。何と言っても世界一の経済大国であり軍事大国です。

そして、広大な国土で持ち、その国土や海域からは豊富な資源が産出されています。また、農業においては高い生産性を保有しています。

しかし、アメリカ合衆国の建国の歴史をよく知っている人は意外と少ないのではないでしょうか?

本記事では、アメリカ合衆国の成り立ちについて分かりやすく解説します。

アメリカ合衆国は、1775年に起こったイギリスとのアメリカ独立戦争で勝利し、

1783年に正式に建国されました。まだ建国されてから250年弱であり歴史としては新しい国です。

現在のアメリカ合衆国は50の州からなる連邦国家です。現在のアメリカ合衆国の国土がある場所は、主にヨーロッパ諸外国の「植民地」でした。

やがて、イギリスの植民地であった東海岸周辺の13の州が集まり、イギリスとの独立戦争に勝利して建国を果たしました。

その後、諸外国の植民地を戦争での獲得や買収、併合等によって領土を広げていきました。

1845年にはメキシコが所有していた西海外周辺のカリフォルニアを獲得し(アメリカ・メキシコ戦争)、現在のアメリカ合衆国の形が形成されました。
(※)アラスカとハワイを除きます。それぞれ後にアメリカ合衆国の領土になります。

本記事では、『植民地として始まった「アメリカ」』と『アメリカ合衆国の独立、その領土の拡大』について解説していきます。

あまり、アメリカの歴史を知らない方々にとってもわかりやすいように、基本的な内容に絞るように心がけました。

読者の皆さまにとって、アメリカ合衆国という国がどのような歴史を歩んで成り立ったか、歴史のご理解の一助になれば幸いです。

植民地として始まった「アメリカ」

昔のアメリカ大陸

アメリカ大陸には、7500万人のインディアンが暮らしていた。彼らは何百もの異なった部族文化と、約2000もの独自の言語をもっていた。

多くの部族は狩りをし、食物を集めながら移動する遊牧民だった。なかにはすぐれた農耕民として、共同体をつくって定住している者もいた。

インディアンは、独自の歴史や「おきて」をもっていて、多くの部族たちが共存しながら平等に暮らしていました。

大航海時代のアメリカ大陸

コロンブス アメリカ大陸(新大陸)の東岸を探検

1492年、コロンブスが大西洋を横断してアメリカ大陸の東岸(西インド諸島)に渡りました。

スペイン王の事業として、数回にわたりアメリカ大陸の東岸を探検しましたが、コロンブスは生涯、その地をインドの一部と信じていました。

つまり、このことから、コロンブスはアメリカ大陸を発見したというよりも、インドへの西回り航路を発見した人物と言えます。

アメリカ大陸における植民地の建設

 イギリスによる植民地の建設

イギリスによるアメリカ大陸の植民地の建設は、16世紀後半に始まり、

アメリカ大陸で多くの植民地が設立した17世紀から18世紀頃にその最盛期を迎えました。

イギリスは北アメリカ大陸に植民地を経営した国の中でも重要度が高く、そのアメリカにおける勢力は軍事力においても経済力においても絶大でした。

バージニア植民地などの「13の植民地」を建設しました。

フランスによる植民地の建設

 フランスによるアメリカ大陸の植民地の建設は、16世紀に始まり、その後の数世紀におよびました。

フランスの北アメリカ大陸の植民地はヌーベルフランスと呼ばれました。

植民地化の勢いが頂点にあった時期の領土は、東はニューファンドランド島から西のロッキー山脈まで、北はハドソン湾から南のメキシコ湾までに拡大し、ルイジアナ植民地などがあげられます。

オランダによる植民地の建設

1626年オランダ西インド会社がインディアンからマンハッタン島を買収し、

ニューアムステルダム植民地が建設されました。現在のニューヨーク地区はオランダの植民地でした。(後にイギリスに占領されました。)

北アメリア大陸の植民地の争い

主にヨーロッパで国力のあったイギリスとフランスの2国間の植民地での争いが勃発しました。主な戦争を2つあげます。

アン女王戦争(1702年~1713年)

 アン女王戦争は、ヨーロッパのスペイン継承戦争に対応して北米大陸において起こった、フランスとイギリスとの間の北米植民地戦争です。

それぞれの国と同盟を結んでいた多数のアメリカ州の先住民族および、フランスの同盟国であったスペインも戦争に加わりました。

1713年の条約が締結されてアン女王戦争は終結しました。

フレンチ=インディアン戦争(1755年~1763年)

フレンチ・インディアン戦争は、イギリス領アメリカ植民地とヌーベルフランスが主な戦場となり、いずれも、本国からの援助を得て戦闘が行われました。

1758年から1760年の間、イギリス軍はヌーベルフランスの中心地ケベックの陥落に成功するとともについにモントリオールを攻略し、イギリスはこの戦争に勝利を収めることになりました。

この結果、イギリスは北アメリカ東半分(ミシシッピ川以東の土地)を植民地化することに成功しました。

アメリカ合衆国の独立、その領土の拡大

アメリカ独立戦争(1775年~1783年)

アメリア独立戦争は、1775年に始まったアメリカ植民地のイギリスからの独立の戦いです。

1776年、アメリカ合衆国が独立宣言を行いました。フランスの支援などもあって独立軍が勝利し、1783年、パリ条約で独立が承認されました。

アメリカ独立戦争は、イギリスの13植民地が本国に対して起こした戦いであり、アメリカ合衆国を成立させた戦争であり、

同時に市民社会を成立させたブルジョワ革命であることからアメリカ独立革命ともいわれています。

<独立戦争の経緯>

ボストン茶会事件

1773年、北米植民地人が、東インド会社に茶の専売権を与える茶法に反対して、ボストン港で東インド会社の茶を棄てたことから起こった反イギリス闘争のことです。

この事件は、アメリカ独立戦争が勃発した大きなきっかけとなりました。

開戦

1775年4月、イギリス軍は植民地人が武器を貯蔵しているとしてマサチューセッツのコンコードに部隊を派遣しました。

そして、レキシントンで戦いが起こり、アメリカ独立戦争が開戦となりました。

独立軍の苦戦

開戦からしばらくの間、最強のイギリス軍に対して、植民地の独立軍は劣勢でした。

独立軍はワシントンが司令官に任命されましたが、独立軍の苦戦が続きました。

  

アメリカ独立宣言

1776年7月、大陸会議において、ジェファソンが起草したアメリカ独立宣言が7月4日に全会一致で採決されました。

これによってアメリカ独立戦争が終わったわけではありませんが、実質的なアメリカ合衆国の発足として意識されました。(現在、7月4日はアメリカ独立記念日となっています)

正式には1777年のアメリカ連合規約で国号となり、東海岸の13州がアメリカ合衆国憲法で独立国として確立しました。

戦局の転換と国際情勢の好転

当初、ワシントンが率いるアメリカ軍は約2万人の兵力でしたが、ニューヨークの戦いで壊滅的な敗北を喫し、兵力はわずか3千人に減っていました。

しかしながら、戦局の転換と国際情勢の好転が訪れました。1777年10月、カナダから南下したイギリス軍を迎え撃ったアメリカ軍はサラトガの戦いで大勝して戦局は転換しました。

このアメリカ軍の勝利を知り、1778年2月、ルイ16世が正式にフランスの参戦を宣言しました。

さらに1779年にはスペインが、1780年にはオランダが同じくアメリカ側に参戦し、ロシアのエカチェリーナ2世も武装中立同盟を掲げました。

こうして国際情勢はアメリカ独立に圧倒的に有利となりました。

独立戦争の勝利

イギリス軍はヴァージニアのヨークタウンに進攻しました。

地形を熟知するワシントンは、好機とばかりにニュージャージーから急きょ南下し、フランス軍も参加して攻撃、さらにフランス海軍が海上からイギリス軍を砲撃しました。

袋の鼠となったイギリス軍は降伏し、この1781年のヨークタウンの戦いの勝利で、アメリカの独立は決定的になりました。

1783年の講和条約であるパリ条約でアメリカは独立を認められました。さらに国境をミシシッピ川まで伸ばすという勝利で終わりました。

アメリカ合衆国の領土(国土)の拡大

 独立戦争後のアメリカ合衆国は、自国の領土(国土)をかなりのスピードの速さで拡大していきます。

アメリカ合衆国の領土拡大の遷移について、どのアメリカ大統領の時に、どのような領土拡大やなされたのか、大統領に就任した年とアメリカ合衆国の国の成り立ちに重要な情景等も加えて、わかりやすく解説いたします。

初代大統領ワシントン(1789年)

アメリカ独立宣言の時は東海岸沿いの13の州からなる国でした。アメリカ独立戦争の勝利によって、イギリスから領地の割譲を受けました。国境がミシシッピ川まで伸びました。

第3代大統領ジェファソン(1801年)

   フランスからミシシッピ以西にあるルイジアナを買収しました。このことにより北アメリカ大陸の西側に向けて領土が拡大しました。

第4代大統領マディソン(1809年)

   アメリカ=イギリス戦争が勃発しました。このことにより、アメリカ合衆国はイギリスから政治・経済的に独り立ちすることになりました。

第5代大統領モンロー(1817年)

モンロー宣言を行いました。「アメリカ合衆国とヨーロッパは相互不干渉にする」という内容の宣言です。また、モンロー大統領時にスペインからフロリダを買収しました。 

第7代大統領ジャクソン(1829年)

ジャクソニアン・デモクラシーという民主主義が広がりました。男子普通選挙も開始されました。このことにより、いままで連邦政府に批判的だった層やあまり裕福ではない農民などの層からの賛同も広がりました。

第11代大統領ポーク(1845年)

メキシコから離脱したテキサスを併合しました。また、イギリスと協定を結んでオレゴン併合を平行しました。そして、アメリカ・メキシコ戦争によってカリフォルニアを獲得しました。ピーク大統領の時に、アラスカとハワイを除いて、現在のアメリカ合衆国の国土が形成されました。

まとめ

アメリカ合衆国は、1783年にイギリスから独立して建国されました。建国されてからまだ250年弱であり歴史としては新しい国です。

現在、アメリカ合衆国は50の州からなる連邦国家です。現在のアメリカ合衆国の国土がある場所は、主にヨーロッパ諸外国の「植民地」でした。

イギリスの植民地であった東海岸周辺の13の州が集まり、イギリスとの独立戦争に勝利して建国を果たしました。そこからアメリカ合衆国は国家としてスタートしました。

その後、諸外国の植民地を戦争での獲得や買収、併合等によって領土を広げていきました。

1845年にはメキシコが所有していた西海外周辺のカリフォルニアを獲得し、現在のアメリカ合衆国の国土が形成されました(アラスカとハワイを除きます)

このような経緯を得て、現在のアメリカ合衆国の基礎ができあがりました。

ネイティブ・アメリカンの人々から始まり、いろいろな出身国の人々、いろいろなルーツや文化を持った人々が集まり、大国の形を成していると言えるでしょう。

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